2018年06月05日
唐人そば(みよ家)
みよ家『唐人そば』
110年ぶりに復活したという唐人そばを頂きに来ました
みよ家の「唐人そば」以外に関しては下記をチェック
↓ ↓ ↓ ↓
http://goyauekata.ti-da.net/e4071941.html
落ち着いた雰囲気の清潔感ある店内
メニュー
唐人そばジューシーセット
唐人そば
深い茶色のスープ
かなり特徴的な甘味がある
各店舗それぞれの出汁に特性の醤油ダレで味付けするという、いわゆるラーメン方式だが、開発の際「醤油ラーメンのようにならないように気をつけた」というだけあり、しっかり沖縄そばに仕上がっている
因みにスープ濃度は現在の沖縄そばの平均的数値
タレは共通しているが各店舗毎に出汁や麺、具が異なるため唐人そばの食べ歩きをする人も多いようで、そばジョーグーの間で「唐人そば」が一つの流行となっている。そばジョーグー達に好評だけあり、味は間違いなく美味しい
大正年に「ゆたかや」が醤油の量を減らし塩をきかせてこれまでの黒いスープから白いスープへと改革を行い大流行した事は結構有名な話。現在の沖縄そばの原型とされているがそれまでは醤油の量が多い黒に近いスープだったという(参考文献:「沖縄そばに関する調査報告書【サン食品 編 1972.7】」)
みよ家は生麺と茹で麺から選べるが今回はゆで麺をチョイス
自家製の10番やや平たい麺
ツイストがかった強いちぢれ、もっちもちで弾力もあり、やはりみよ家の麺は絶品
具は三枚肉の細切りが乗っている
その辺も各店舗によって異なるそう
この取り組みの目的として「唐人そば」を通して沖縄そばの歴史に興味をもつ事も挙げられているため、歴史について個人的な見解を述べさせていただきます。(あくまでも個人の考えです)
唐人そばの説明に『1902年(明治35年)沖縄県初の「支那そば屋」とされる観海楼が開業』
と書かれているが、支那そば屋=観海楼なのか?ということである。
この件、今回の「唐人そば」説明の表示以外でも至るところで「沖縄初のそば屋 観海楼」といった内容の記事などが掲載されている。
「支那そば屋」が明治35年に開業したのは当時掲載された新聞広告の資料が残っており間違いない。
【明治35年4月9日琉球新報】
しかし私が集めている資料では「観海楼」が開業したのは明治40年の10月。
「支那そば 比嘉店」いわゆる「べーらーそば」と同じ時期に開業広告を出している。
【明治40年11月22日琉球新報】
【明治40年11月23日琉球新報】
明治35年に開業した「支那そば屋」の場所は那覇警察署下り肥料倉庫裏と掲載されている。
一方、べぇーらーそばと観海楼は前之毛(メーヌモー)通りとなっている。
「沖縄そばに関する調査報告書(サン食品 編 1972.7)」によると明治35年に開業した支那そば屋も前之毛通りの端にあるので店名を変えたのか?又は明治35年の開業広告には店名を掲載していないのか?いや、そうであったとしても、なぜわざわざ5年後に開業広告を掲載するのか。明治40年10月に開業広告を掲載している以上、観海楼が開業したのは明治40年であり、「支那そば屋」=「観海楼」という事が一般的になっている事が私には理解できません。(証明できる方がいらっしゃれば是非教えてください。)
細かい事は抜きにして「唐人そば」は生産が間に合わないほど人気を博しているそう
いずれにしてもこの取り組みは本当に「すば」らしい
110年ぶりに復活したという唐人そばを頂きに来ました
みよ家の「唐人そば」以外に関しては下記をチェック
↓ ↓ ↓ ↓
http://goyauekata.ti-da.net/e4071941.html
落ち着いた雰囲気の清潔感ある店内
メニュー
唐人そばジューシーセット
唐人そば
深い茶色のスープ
かなり特徴的な甘味がある
各店舗それぞれの出汁に特性の醤油ダレで味付けするという、いわゆるラーメン方式だが、開発の際「醤油ラーメンのようにならないように気をつけた」というだけあり、しっかり沖縄そばに仕上がっている
因みにスープ濃度は現在の沖縄そばの平均的数値
タレは共通しているが各店舗毎に出汁や麺、具が異なるため唐人そばの食べ歩きをする人も多いようで、そばジョーグーの間で「唐人そば」が一つの流行となっている。そばジョーグー達に好評だけあり、味は間違いなく美味しい
大正年に「ゆたかや」が醤油の量を減らし塩をきかせてこれまでの黒いスープから白いスープへと改革を行い大流行した事は結構有名な話。現在の沖縄そばの原型とされているがそれまでは醤油の量が多い黒に近いスープだったという(参考文献:「沖縄そばに関する調査報告書【サン食品 編 1972.7】」)
みよ家は生麺と茹で麺から選べるが今回はゆで麺をチョイス
自家製の10番やや平たい麺
ツイストがかった強いちぢれ、もっちもちで弾力もあり、やはりみよ家の麺は絶品
具は三枚肉の細切りが乗っている
その辺も各店舗によって異なるそう
この取り組みの目的として「唐人そば」を通して沖縄そばの歴史に興味をもつ事も挙げられているため、歴史について個人的な見解を述べさせていただきます。(あくまでも個人の考えです)
唐人そばの説明に『1902年(明治35年)沖縄県初の「支那そば屋」とされる観海楼が開業』
と書かれているが、支那そば屋=観海楼なのか?ということである。
この件、今回の「唐人そば」説明の表示以外でも至るところで「沖縄初のそば屋 観海楼」といった内容の記事などが掲載されている。
「支那そば屋」が明治35年に開業したのは当時掲載された新聞広告の資料が残っており間違いない。
【明治35年4月9日琉球新報】
しかし私が集めている資料では「観海楼」が開業したのは明治40年の10月。
「支那そば 比嘉店」いわゆる「べーらーそば」と同じ時期に開業広告を出している。
【明治40年11月22日琉球新報】
【明治40年11月23日琉球新報】
明治35年に開業した「支那そば屋」の場所は那覇警察署下り肥料倉庫裏と掲載されている。
一方、べぇーらーそばと観海楼は前之毛(メーヌモー)通りとなっている。
「沖縄そばに関する調査報告書(サン食品 編 1972.7)」によると明治35年に開業した支那そば屋も前之毛通りの端にあるので店名を変えたのか?又は明治35年の開業広告には店名を掲載していないのか?いや、そうであったとしても、なぜわざわざ5年後に開業広告を掲載するのか。明治40年10月に開業広告を掲載している以上、観海楼が開業したのは明治40年であり、「支那そば屋」=「観海楼」という事が一般的になっている事が私には理解できません。(証明できる方がいらっしゃれば是非教えてください。)
細かい事は抜きにして「唐人そば」は生産が間に合わないほど人気を博しているそう
いずれにしてもこの取り組みは本当に「すば」らしい
Posted by すば人 ゴヤ親方(スバンチュ ゴヤウェーカタ) at 11:10│Comments(3)
│嘉手納町
この記事へのコメント
親方〜、明治40年開業説を支持します。大笑いさんとうちなぁ家さんのをいただきました。
Posted by 松崎 at 2018年06月27日 06:45
おっしゃる通り、唐人そばは「支那そばや』です。発展継承の会とも話して、次のチラシから訂正する予定です。
ちなみに、支那そばやの店主は福永儀一さんです
ちなみに、支那そばやの店主は福永儀一さんです
Posted by 工技 豊川 at 2018年08月04日 11:49
豊川さん
コメントありがとうございます!色々教えてください。是非とも情報交換したいです!
コメントありがとうございます!色々教えてください。是非とも情報交換したいです!
Posted by すば人 ゴヤ親方(スバンチュ ゴヤウェーカタ) at 2018年10月04日 20:48